人は何かの節目に人生の意味を考えたりします。生きることにどんな意味があるのか、人生の目標は何か、何のために生きるのか? このような問いに多くの人が「成功」と答えます。熱心に勉強し、いい大学に入り、いい会社に就職するのも、結局は「成功」を願うからです。親は自分の成功だけではなく子供の成功も願い、幼い頃から「成功が最高の価値」だと教えます。
ところで、成功とは何でしょうか? 何をもって「成功した」と見るのでしょうか? 地位が上がること、お金を稼ぐこと、有名になること。成功の基準に、おそらくこれらが入ることでしょう。
しかし問題は、成功というものは、すべての人が共に享受できる価値ではないという点にあります。志望大学に全員が合格できるのでもなく、公務員試験に誰もが合格できるのでもありません。成功は相手の失敗を前提にし、少数の成功は多数の失敗の上に成り立ちます。だから成功するには、熾烈な競争に勝たなければならないのです。
学校教育は、このような競争を教えます。子供たちにテストを受けさせ、テストの点数で順位をつけ、能力を差別化するやり方を当然だと思っています。ここで幸せなのは、たった1人。1位の生徒だけです。これが望ましい教育でしょうか。子供たちが協力し合いながら、全員が満点を取るような教育は不可能なのでしょうか。
競争は、幸せになりたいという欲求を満たすのに適した方法ではありません。相手に勝とうとする思いを抱いたまま幸せにはなれないし、しばし勝利の快感に浸ったら、また新たな競争に飛び込まなければなりません。自分で飛び込むというよりは、競争へと追いやられるのです。また競争は、個人を孤立させ、共同体を壊し、欲望のシステムを強化します。最終的には人間性喪失を深めます。
もちろん成功は、誰もが願う魅力ある体験であり、人生に必要なものです。それなら、成功を追求する前に、私たちは考えてみる必要があります。私にとって成功は、どんな意味があるのか? 私は何のために成功したいのか? その成功が私を本当に幸せにするのか? 私が願う成功は、家族や周りの人々、社会にも役立つものか?
成功よりも完全な価値、すべての人が共に享受できる価値、相対的な達成感ではなく絶対的な満足感を得られる価値。脳教育ではそのような価値を「完成」に見出します。完成の追求とは、脳の主として自らの人生を向上させるために常に努力し、良心に従ってすべての人がより健康で、より幸せで、より平和に暮らせるように手伝う生き方を選択することです。
完成には競争がありません。完成は良心から出る価値です。良心が明るく息づいていれば完成の価値を選択できます。良心を最後まで守れば、必ず人間完成に至ります。突き詰めると脳教育は人間完成という最高の価値に向かう「人間完成学」です。良心を照らし、脳を活用することによって、それが可能になります。真の幸せも、良心が基盤にあるときに得られます。本当に幸せになりたいなら、「人間完成」の価値を選択する必要があります。それが真の成功へ向かう道でもあります。
一指李承憲(イルチ イ・スンホン)
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